ということで、それに先立って関ケ原の歴史スポットを巡ってまいりました。
まずは、国道21号線、桃配山(ももくばりやま)の「徳川家康最初陣地」。
当時、家康がイスやテーブルとして使用したという岩が残っています。
西暦1600年9月15日、朝は濃霧に包まれていたそうです。
午前八時ごろ、東軍井伊直政がその決戦の火蓋を切って落としたのです。
こちらは家康と相対する石田三成が陣を敷いた笹尾山。
ここから山道を登ると、三成の本陣跡があります。
この辺りは「三成には過ぎたる」といわれた島左近の陣がありました。
滋賀県長浜出身の三成は地の利を得る場所を心得ていたのかもしれませんね。
山肌に設置されているのは馬防柵といって、敵の突撃を防ぐためのもの。
当時の姿が再現されています。
ここにあるモニュメント。
さらに、合戦当時の400年以上前からここにいるという槍兵の方が写真に写っているそうです。
私には見えませんが、あなたは見えますか?(笑)
このモニュメント、この隙間からのぞくと先ほどの家康の陣地、桃配山が見えます。
写真には写りませんでしたが、肉眼では赤白の鉄塔が見えました。
家康の陣はその鉄塔の下あたりだそうです。
なかなかキビシイ山道を登って三成の本陣跡へやってきました。
三成は関ケ原で敗戦が濃厚となると再起をかけて滋賀方面へ敗走します。
その後伊吹山付近でとらえられて、京都の六条河原で斬首刑となりその生涯をとじます。
関ケ原の町が一望のもとに見渡せる笹尾山の三成陣跡。
三成は400年後にこんな近代的な町がここに出来上がることを想像したでしょうか?
ここにある案内板はスイッチを押すと関ケ原の合戦を説明してくれます。
史跡巡りをするなら、ここ、三成陣跡は必ず訪れた方がいいでしょう。
その三成陣跡のそばにある『笹尾山交流館』。
こちらは期間限定の営業ですが、グッズやお土産なども買うことができます。
両名共に関ケ原の合戦には参加してない!?
こちらでは甲冑を着て撮影や散策できる体験(有料)があります。
甲冑で史跡の散策や写真撮影は記念になりますね。
子供たちには歴史の勉強にもなりそうです。
こちらは笹尾山から少しのところにある”決戦地”。
現在は農地が広がるのどかな場所ですが、ここは血で血を洗う日本の歴史上最大の決戦が繰り広げられていたのですね。
決戦当日1600年9月15日、午前中は西軍が有利に戦を進める中、家康が西軍を裏切る密約のある小早川秀秋の軍が一向に動かないことに業を煮やし、秀秋の陣のある松尾山に向けて鉄砲を撃ったといわれています。
それに驚いた小早川軍は、善戦を続けていた大谷吉継の軍に向けて突進しました。
これに呼応した西軍の諸隊も東軍に寝がえり、吉継は自害、西軍は総崩れとなっていきます。
続いてやってきたのは”関ケ原町歴史民俗資料館”。
資料館入り口にある合戦屏風。
いかに混戦だったかをうかがい知ることができますよ。
展示物のほか、お土産やグッズなども販売。
歴史マニアには垂涎の家紋ものがたくさん。
はい、顔出し看板。
子供向けでしょうね、大人には小さいです。
資料館の隣、公園のようになっているところには、家康の最後の陣跡があります。
決戦当日午前11時ごろ、家康は三成の本陣に向けて陣を動かします。
それは三成のいる笹尾山のすぐふもととなるこの場所でした。
合戦が終了した後、この場所で首級実験が行われたのもこの場所だそうです。
名だたる西軍の武将の首に対して褒美をとらせた場所です。
飲食店・施設協賛のスタンプラリーもやってました。
どうせ回るなら、と参加してみましたよ!
ということで最後にやってきたのはJR関ケ原駅前にある”関ケ原駅前観光交流館”。
最終的にためたスタンプの引き換えをしてもらいます。
こちらでも戦国グッズは人気。
これは模造刀ですが、外国人観光客には人気なのだとか。
私が一番気になったのはこれ!
関ケ原ならでは・・・といえば、そうでしょうね。
日清どん兵衛の東西での食べ比べパック。
関東と関西で味を変えているのは割と有名ですが、その境界線もここ、関ケ原だそうです。
その違いも気になるところなので、早速購入♪
それで、スタンプラリーでいただいた品がこちら。
三成と家康の家紋入り缶バッジは私のお気に入りです。
※景品は変わる可能性があります。
ちなみにこの交流館、コインロッカーも武将つき!
ここまでのこだわりはアッパレ!!
ひいきの武将のロッカーに入れておけばどこに入れたかわからなくなる心配もなくて安心。
0584-43-5559
営業時間 9:00~14:00
営業期間 4~11月中旬
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